ドアを閉めて、ガウンを渡そうとして、やめました。
〈60〉分のご新規さん。カルテには名前だけ。挨拶して、いつも通り雑談して、いつも通りほぐして、いつも通り温度を上げていく——その手順が、その日は全部めんどくさく思えた。というより、その全部を飛ばしてでも先にしたいことが、私の中にひとつだけあった。
「……今日、私の好きにさせてもらってもいいですか」
言ってから、心臓がうるさくなった。プロとして完全にアウトやと思う。でも、その人が少し笑って「ええけど」って言ってくれたとき、私はもう膝をついてました。
カーペットの毛が膝に刺さる感触。あれ、いまだに覚えてます。自分から下りたときの床の高さって、こんなに落ち着くんやなと思った。
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私は、ほんまはこっちのほうが好きなんやと思う。
自分が気持ちよくしてもらうのは、正直よく分からへん。マグロやってずっと言うてきたのも嘘やなくて、私は自分の身体の反応にあんまり興味がない。そのかわり、目の前の人の呼吸が変わる瞬間だけは、いつも異常に分かる。
最初の数十秒で、部屋の音が消えた。エアコンも、隣のシャワーも、廊下の足音も。残ったのは、その人の息が浅くなっていく音と、私が立てている、聞かせるつもりのなかった音だけ。
恥ずかしかったけど、止めなかった。止めるどころか、音がしたほうが反応がいいことに途中で気づいてしまって、そこからは、わざとです。ごめんなさい。
上目で顔を見るたびに、眉が寄るところ。太ももに力が入るところ。私の名前を——源氏名やのに——一回だけ呼んでくれたところ。全部、覚えてる。全部、私がさせたことやと思うと、あの日はほんまに機嫌がよかった。
「もうええで」って、途中で何回か言われました。
一回も、聞きませんでした。
顎が痺れてきたのが〈15〉分くらい。〈20〉分を超えたあたりから時間の感覚がなくなって、〈30〉分を過ぎた頃には、もう終わらせたくないだけになってた。息継ぎのタイミングも、力加減も、全部こっちが決めてる。決めてるのに、こっちのほうが夢中になってる。この矛盾を説明できる言葉を、私はまだ持ってません。
最後の合図は、髪に置かれた手の力で分かりました。
それでも離しませんでした。というか、最後まで私がしたかったので。
ここから先は、書けません。音と、私の顔と、そのあとの数十秒の静けさ、全部そのまま入ってます。
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終わったあと、しばらく二人とも喋らへんかった。
その人が「ありがとう」って言って、時間を〈20〉分残して帰っていった。私は結局、施術を一度もしていない。指も、オイルも、一度も使ってない。シーツは入ってきた時のまま綺麗なままやった。
綺麗なシーツを見ながら床に座って、口元をぬぐって、ちょっと笑ってしまった。
今日の私、めちゃくちゃ仕事してへん。
でも、たぶんこの日がいちばん、ちゃんと接客してました。
※完全にフィクション。笑